147回衆議院憲法調査会(2000/04/20)
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○平沼委員
五百旗頭先生、大変お忙しい中、当憲法調査会のために貴重なお時間をお割きいただき、さすがに歴史学者でいらっしゃるので、一つの視点から含蓄のあるお話をしていただきまして、本当にありがとうございました。
押しつけ憲法論に関して先生は、異端論、こういう形で位置づけられたわけでありますけれども、私は若干見解を異にいたします。
およそ古今東西、戦いに勝った国というのは、打ち負かした国に対して基本的なことを必ず二つしているわけであります。
それは古代のアレキサンダー大王にしても、我が国の戦国時代のそれぞれの武将にしても例外じゃなくて、負かした相手に対しては、まず一つは、非常に厳しいそういう世界でありますから、二度と再び立ち上がらせない、こういうことをやるわけであります。もう一つは、その打ち負かした国というものに対して、未来永劫、でき得べくんば友好的な属国として位置づけて、そして勝った側の論理を押しつけながら、自国の安泰を図っていく。私は、戦勝国の最高司令官であったマッカーサー元帥も例外じゃなかったと思うんです。
これはもうみんな承知のことでありますけれども、厚木飛行場に乗り込んできて、そしていろいろな指令を出しましたけれども、真っ先にやったことが憲法改正の示唆でありました。
それは、なぜ憲法に着目したかというと、日本は、いろいろな紆余曲折があったと思うんですけれども、大陸から法律システムを入れ、聖徳太子の十七条の憲法、さらには大宝律令等々、法治国家で長い間存続してきた国柄であります。法治国というのは、これは言うまでもなく法が支配、運営する国家体系でありますから、その基本法というものを、やはり今の二つの目的を円滑に達成するために自分たちの意に沿ったものを押しつけるということは標準動作だったと思うわけであります。
しかし、これは不戦条約やあるいはハーグの陸戦法規その他その他、やはり戦いに勝った側が一方的に最高法規というものを押しつけるべきじゃない、そういう国際世論にも配慮いたしまして、そして日本に、先生がお話しのように、担当したのは松本烝治博士でありましたけれども、憲法改正を命じたわけです。その間、これはいわゆるポツダム勅令と言われていますけれども、連合国側は日本に対して二千を超えるいろいろな勅令を出して、徹底的な日本の改造を図ってきたことも事実です。
そして、さらには、昭和二十年の九月からマスコミに対して事前検閲というものを強行いたしました。これは二十三年の七月まで続くわけでありまして、さらに、二十三年の七月からは事後検閲になりました。これは江藤淳先生なんかの綿密な調査によって大変明らかになってきた事実ですけれども、そういって徹底的な事前調査をする。
また、これはポツダム宣言の中にも盛り込まれていたわけですけれども、極東軍事裁判というものを開き、極東軍事裁判というのは、法の原理原則をある意味では無視して、罪刑法定主義というものが原則でありますけれども、これを全く無視して、それまでなかった「平和ニ対スル罪」、「人道ニ対スル罪」、こういうものを事後法として設定して、そして構成する判事も中立国は一人もいない、そういう形で一方的に裁判を開き、判決を下した。
その中で、有名な話でありますけれども、その判事を構成していたインドのパル博士の非常に大部にわたる判決文があります。裁判というものの記録でありますけれども、その当時は、これも一切公表を禁止したというような形で、非常に目的的に強力にやってきたわけであります。
憲法は、先生もお認めいただいたとおり、押しつけだったわけであります。この押しつけという一つの事実というものを、先生のお考え、それはそれで評価すべきものがありますけれども、法が支配、運営する国家体系をとっていく以上、その根本のいわゆる法律たる憲法の出発点が今言ったような背景の中で意図的にやられたということは、やはり独立国の我々日本人としては、これはやり過ごすわけにはいかない。
新しい、確かに理念的には、先生御指摘のように、多分アメリカンデモクラシーに基づいておりますし、二十五名から成るいわゆる憲法草案に携わった人たちも、初回、西先生から詳細に承りましたけれども、ハイエデュケーテッドな、ケーディスにしてもハーバード大学のロースクールを出ている、ハッシー、ラウエルもしかり、そういう法律的な素養があったことは事実です。しかし、この二十五名の起草した人たちも、明らかにそういう意図であり、また多分に理想主義者的で、ある意味では、アメリカのニューディール政策、こういうものに大変傾倒していた人たちだったのです。
ですから、彼らが日本に押しつけてきた憲法というのは、例えば前文一つとっても、これはアメリカンデモクラシーの有名なリンカーンのゲティスバーグ演説の、バイ・ザ・ピープル、フォー・ザ・ピープル、オブ・ザ・ピープル、これがそのまま入ってきておりますし、それからまた、いわゆる九条に生かされている不戦条約そのものの精神が、マッカーサーを経由して、これはフィリピンの憲法にも入っているわけですけれども、そういう形でそのまま入ってきている。
私は、そういう出自の憲法であるからして、いいことは率直に認めますけれども、半世紀以上たって、今この日本でいろいろな社会的な忌まわしき問題が起きております。そういうものは、やはり法が支配、運営する国家体系で法治国である以上は、今の憲法と無関係ではない。もとをただせば――今、例えば犯罪が多発する、また子が親の面倒を余り見ない、そしてまた平気で親が子を殺し、子が親を殺す、そういったことが多発して、教育の荒廃も目を覆わしめるものがある。だから、そんなことを考えてみると、繰り返し言いますけれども、いい面は率直に認めますけれども、しかしそういった面も、占領政策の目的で、こういう言葉を使うのは嫌なんですけれども、日本を弱体化する、そういうために押しつけた憲法でありますから、そういう現象も我々はこれから力を合わせて直していかなければいけない。
そういう中で、原点に立ち返って、勇気を持って、押しつけ憲法論が異端論だとおっしゃいますけれども、そうじゃなくて、そういったところをこの憲法調査会でも皆さん方で討議をしながら、そういう出自の憲法であるからこそ、やはり我々日本民族の手に成る憲法をつくっていくことが大切なことじゃないか。そこを避けて通ってしまうと、その場その場を糊塗するだけで、やはりいつまでたっても本当の、我々が理想とするようないわゆる法治国日本、こういうものをつくることができないじゃないか、そんな危惧を私は持っています。
先生の御提言に大変水を差すような私の見解でありますけれども、今、そういった憲法の出自が、現状のいろいろな、我が国にとって喫緊に解決しなきゃならないそういう問題と関係あるかどうか、また、今私が申し上げたこと、それに対して先生の御見解をぜひ承りたいと思います。
○平沼委員
私の先祖まで紹介していただきまして、大変恐縮でございました。
限られた時間でございますので、先生は、ケーディス次長、大佐にもお会いになられて、二日にわたってインタビューされた、こういうことを伺いましたけれども、日本国憲法の前文を起草したと言われるハッシー中佐にはインタビューはされたのでございましょうか。
その成立過程をそれなりに勉強させていただくと、先ほどのお話にもちょっと出ましたけれども、ケーディスが、やはり国には固有の自衛権があるから、したがって、ある意味ではその場の独断のような形でぴしっと修正をした、それを知ってハッシー中佐がケーディスのところにやってきて、これは最高司令官の意図するところと違うじゃないかと非常に抗議したそうなんですけれども、そうすると、ハッシーが起草した前文と、もともとマッカーサーのイエローペーパーに書いてあった九条、そして、それに修正が加えられた、第二項が加えられた、その辺は、先生は前文と九条の関係というのはどういうふうにごらんになっているか、ちょっとお伺いしたいと思います。 |
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